第六話 二度目のライブ




その日の朝、アリシナの容態を確かめるため、医師を訪ねる。
相変わらず楽観を許されない状態にあるそうだ。開けられた扉の隙間からそっと覗き込む。目を閉じたままのアリシナが、薄暗い部屋の奥に見えた。祈るような思いで見つめる。
「くれぐれも・・・姉をお願いします。」
医師に深く頭をさげた。彼はウインクして親指を立てた。陽気でいられるのは、スペインの血がさせるのだろうか。彼が羨ましいと思った。



分からないことが沢山ある。頭がくらくらする。けれども、空はしらじらと明けてくる。
黒い水面が、次第に青くなり、やがてエメラルド・グリーンに輝いた。
今日という日は、昨日の続き―――誰が言った言葉だろう?全く、その通りではあるけれど、今日という日は、昨日とはあまりに違い過ぎた。
俺は傍らにある服に手を伸ばす。
昨日着ていたのと同じ服。ずっしりと重たい。当然だ、服の中にはまだあの拳銃が、黒い光を帯びてじっと息をひそめているのだから。

身体検査でもひっかからなかった、レビン。どうして、どうやってこの拳銃を持っていたのだろう。
そして気づく、彼にはたくさんの太鼓があるじゃないか。その中にそっとこれを紛れ込ませていたのだ。どうして?何のために?それができたのは、そんなことをしたのは、彼自身が犯行に及んだからではないのだろうか。



やがて扉が叩かれる。シェフが、朝食を運んでくれた。ハムエッグ、トースト、ブラックコーヒー。なんともシンプルだが、食欲の無い今の俺には丁度良かった。
「大変だったな、タカ。気をしっかり持ってな。」
シェフが白い髭の間から声を掛けてくれる。その優しいまなざしに、心が癒された。
「そうだ、シューセも気を落としてるんじゃないのか?コイビトだったんだろう?」
唐突に言われた言葉に、身体が反応した。
「何だ、知らなかったのかい?じゃあ、ひょっとしたらコイビトじゃなかったのかな。少なくとも、アリシナはシューセを好きだったみたいだよ。しょっちゅう部屋に押しかけたり・・・食事を作らせて欲しいとか、俺に言ってきていたしな。勿論、おれもプライドがあるから、神聖な食堂に他人を入れるなんてことはしなかったけどな。
・・・いやあ、すまないね、変なことを言ってしまって。
ただシューセも、普段うるさく言って来る女が・・・あんなことになってしまって、しょげこんだりしないものかな、そう思っただけだよ。ちょいとさしでがましかったかな。」

シェフはそれからも何か一言二言言って、部屋を出て行った。
初耳だ。アリシナが、シューセを・・・。
シューセは、あの夜アリシナの写真を燃やしていた。酷く殺気走った顔だった。
彼は、アリシナを愛してなどいないだろう。そのくらいは分かる。けれどもアリシナは?執拗に彼に迫った?
あの情熱的なまなざしが、唇が、細い腰が、頭を駆け巡る。シューセに拒絶されたアリシナ、一体その時彼女はどんな行動に出たのだろう?そして、彼はどんな行動で返したのだろう・・・・・・
頭の奥で、銃声が鳴り響く。俺は首を大きく横に振って、その音を掻き消そうともがいた。




朝食を素早く済ませる。身支度をして、それからそっとデッキへ出た。
船長に会うと、思いがけず今日の演奏を頼まれた。アリシナがまだ昏睡状態であるというのに。そして犯人は、俺たちの中にいると見られているのに。
「君達の音楽を聞きたいって言っている人が、沢山いてね。」
船長が、にっこりと微笑んで言う。
不謹慎ではあるけれど、微かにこみ上げる嬉しい気持ち。
俺たちの音楽を聞きたいと言う人が、沢山いる。



高鳴る気持ちを理性で押さえながら、仲間に伝えたくて足を速めた。昨日あれほどまでに疑念を持っていながら、やはりどうしても彼らは俺にとってかけがえのない存在なのだ。
みんなの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
ヒロの部屋に、全員を集めた。
「・・・そういうわけで、今日の演奏、最高のものにしよう。」
短く伝えた。まだ俺の中で疑念が晴れない以上、最高の演奏ができるかどうかは不明だが、それでも精一杯やりたい、と心の底から思っている。ただ、長い間仲間達と一緒に居るのは怖い気がした。俺の気持ちが、またあらぬ疑念に沈むのが、怖かった。
席を立とうとする。
その背中で、レビンの声がした。
「コージ、弾けるか?」
思わず振り返る。コージの右手が、再び震えていた。小刻みに。
どういうことなのだろう。問いただそうとしたとき。
「なんでもない、弾けるに決まってるやろ。」
コージの気迫がこもっていた。

何があったのか、気迫に押され、訳を尋ねる勇気が無い。どうして手が震えているのか、ここで問いただしてもいいのだろうか。仲間全員が居る前で、コージに真実を語らせるのは、果たして。

少しの間躊躇すると、扉がノックされ、船員の一人が顔を出した。
「すみません、タカさんいらっしゃいますか?会場の整備が整ったので、最終チェックをしてほしいのですが。」
アリシナの血で汚れた会場の整備をしてくれていたらしい。やむなく、そのまま部屋を後にした。
会場はすっかり元通りとなっていた。壁にめりこんだ弾丸の痕の生々しさを除けば。
絨毯は張り替えられ、美しい文様が浮かんでいる。客席も、乱れることなく椅子が並べられていた。ドラムセット、ベースがセッティングされている。
うん、これでいいよ、と言うとスタッフは席を立ち、会場ががらんどうになる。俺は一人その中に立っていた。






昨日、ここでアリシナが撃たれた。どんな様子だったのか、すぐに頭に浮かんでくる。美しい、情熱的な舞を舞うアリシナ。赤いドレス。新曲を披露する心地よい緊張感。観客の期待と熱い視線。
そして、暗転、銃声。

銃声。

あの時、何か音がした。カチリ、と何か金属の触れる音がしたような気がする。
あれは何だったのだろうか?

あの後すぐに明かりがついた。そうか、明かりのスイッチを入れた音がしたのか。そう思い、会場の電気をつけるスイッチに近寄る。俺たちの演奏するすぐ近くにスイッチはあった。
触る。パチ、と鈍い音がした。違う。この音ではない。もう一度つける。消す。
何度繰り返しても、あの時聞いた音では無い。
では、あの音は一体何だ?銃声とほぼ同時に聞こえた金属音。



俺の中で、何かが弾けた。





「さあ、お待たせ致しました。我らがアガサ・クリスティ−号自慢の演奏をとくとお楽しみください。」
高らかに始まりを告げる司会者の声。
俺はいつものように会場の前に立ち、歌う。
「・・・・・・新曲を披露させて頂きます・・・スペインの街、情熱の街からいらしたみなさんに捧げます。『情熱の風』・・・」
低く呟くように、昨日と同じ言葉を告げる。
観客の視線が、一斉に俺に向けられる。いつもだったら、目の前で踊るアリシナに集中されていた視線が、今夜は俺とその仲間たちへ、まんべんなく注がれる。
そうだ、俺は求めていなかっただろうか?アリシナではなく、俺たちを見て欲しいと。踊るアリシナが、消えてしまったら。アリシナに注がれる視線が、俺たちに向いたら。そんな欲望を、抱えてはいなかっただろうか・・・・・・?



―――――ダトシタラ、本当ノ殺人者ハコノ俺ダ。―――




胸の内ポケットに手が入る。固い、黒い物体に当たる。
俺はその真っ黒な拳銃を手に取って、大きく振りかぶった。
観客が一斉に息を飲み、その身を反らせる空気の流れを感じた。
俺を見る、コージ、シューセ、レビン、そしてヒロ・・・・・・
拳銃の照準が、ぴたりとヒロに当てられた。
頭の中が、破裂しそうだった。いや、もう破裂していたのだ。とっくの昔に。
引き金に、力が入る。夕べ夢で見た、アリシナの指鉄砲が振り下ろされる。僅かに震える右手、人差し指が、確実に引き金を引き寄せる。



カチリ。



銃声は俺には聞こえかった。ただ、その後に響いた金属音だけが頭に響いた。
ずっと昔に買った、銀の指輪。なけなしの金で、給料の前借りをしてまで、それでもどうしても手に入れたいと願った指輪。変わらぬ友情の証に買った、揃いのシルバーリング。
右手にはめた銀の指輪が、衝撃で銃身に当たり、俺とヒロにしか聞こえない音が、響いた。



ゆっくりと、スローモーションのようにヒロが倒れる。のけぞって、胸を手で押さえる。
一瞬の静寂。そして、吹き出る血。
見る見るうちに血溜まりが出来上がる、新しい絨毯。美しい模様が、再び赤黒く一色で塗りつぶされる。
「ヒロ!!」
3人の仲間達が一斉に駆け寄った。俺は放心して、その場に立ちすくんでいた。
手にした拳銃から、火薬の臭いが立ち上る・・・・・・・・
・・・これで、全てが終わったんだ。





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