両手で顔を覆った。 どうしたらよいか分からない・・・もう、引き返そう。寝てしまおうか。 部屋へ戻ろうと踵を返す。先ほど出てきたコージの部屋が、まだ少し開いていた。見ないで通り過ぎようと思ったのだが、人間というものは、気になって仕方の無いものに対しては自然と視線が行くようになっているらしい。俺はつい中を覗いてしまった。 中にいるのは、コージだけではなかった。 コージの後ろに立っている、あの小柄な男は、レビン・・・? コージの手を、取っている。さっきまで震えていた手。まだ、震えているのだろうか。レビンの両手に包まれた右手。あの手で、アリシナを・・・ 「大丈夫か?」 レビンの低く押し殺したような声が聞こえる。何が大丈夫?人を撃って大丈夫?銃の反動は、大丈夫?ギターを奏でるのに、支障は無い? ・・・いや違う、違うだろう?コージが殺人などしているはずが無い、そうだ、そんなはずは無いんだ。 「・・・ああ、ごめん。心配掛けて。」 「あほ。」 重く沈んだ空気の中で、小さな会話が聞こえる。俺は気づかれないように細心の注意を払った。何故だか、犯人を追跡しているような気分だ。そう、まるで推理小説の主人公にでもなったかのような。 「・・・・・・あほ。」 もう一度、レビンが呟く。コージの左手が、レビンの頭をそっと撫でた。 「俺は、大丈夫やから。な?心配するな。」 何が?何が大丈夫なのだろう、『決して捕まったりしないから、大丈夫』??? 「俺、ちょっと外行ってくる。」 唐突にレビンが言った。俺は弾けるようにその場から離れた。いけない、立ち聞きをしていたなんてばれたら・・・・と、咄嗟に思った。ばれたら、どうだというのだろう?いつもみたいに、「やあ、ごめんごめん。」とか「何か二人良いムードだったから、つい覗いちゃったよ。」などと、冗談めかして言えばいいのに。 今の俺には、言えない。どうしても、声が震えるだろう。 駄目だ、どこかに隠れないと・・・! 絨毯の毛が深いことが幸いした。足音は立たない。俺は弾けるように走り去った。 汽笛が鳴り響く。重たい空を、突き抜けるかのように。 俺は急いで走ったためか、普段立ち入らない食堂にいた。はあ、はあ、と息が切れる。あの二人の空気は、尋常ではない、気がした。レビンは一体何をあれほどまでに心配しているのだろうか?彼は何かを知っている。きっと、そうだ・・・それはコージに関することであるし、もしくはアリシナに関することだろう。彼に聞けば、何かがつかめるかもしれない。 しかしどうやって切り出したらいいのだろうか。 食堂の椅子に暫くの間座り、切れた息を整える。 暫くしてから、俺は決心して立ち上がった。そうだ、レビンと話をしよう。あいつはきっと大丈夫・・・アリシナを撃ったりしない。そうだ、ドラムが鳴り響いている中で、銃声が聞こえたのではないか。暗くなろうが弾丸が落ちてこようが、彼はいつも全霊を込めてドラムを叩いている。両手で太鼓を叩いている間に、一体誰が銃を引ける? 俺は一縷の望みを見つけたような気がした。 いつも無邪気に笑うレビンが、俺の中にいた。だから、きっと大丈夫。あいつに悪いことは出来ないさ・・・ 食堂を出る。廊下は明かりが消え、真っ暗だ。ぼんやりと光る月明かりを頼りに歩く。 と。そこに人影が見えた。 心臓が止まりそうになるほど、驚いた。レビンだ。 レビンが廊下にある椅子に座っている。暗くてよく見えないが、俺を見ている。 俺は、動揺する気持ちを何とか鎮めた。 「・・・レビン。どうした、の?」 「・・・・・・。」 何も答えない。暗闇の中で、確かに俺を見ているのに。確かに、そこにいるのはレビンのはずなのに。一体どうしたのだろう。 ぴくり、と影が動いた。 「さっき」 レビンが口を動かす。暗くてよく見えないせいか、暗闇から声がするような錯覚だ。その不気味な響きに、俺は口の中がからからになった。 「さっき、コージの部屋の前にいたの、タカさん?」 いつもより低い声で、呟くように問い掛ける。俺は、ゴクリとつばを飲み込んだ。ますます口の中が乾いた。指先が痛いくらいの、緊迫した空気。今まで、レビンと二人でいて、こんな空気になったことがあっただろうか?音楽についてぶつかったことがあっても、こんな空気になっただろうか。俺を見ている、というのは表現が違う。彼は、俺を睨んでいるのだ。 俺はどうやって答えたらいいのかわからない。けれど、嘘をついては益々険悪となってしまうに違いない。ここは正直に答えるべきだ。 「あ、ああ。」 傍から見ても分かるくらいに俺は動揺している。 レビンに聞こうと思っていた幾つかの質問を、今全く思い出すことができなかった。 レビンは座ったまま、こちらを見上げたままで目を伏せた。 「コージのことを、犯人だと思っているんやろ?」 「・・・・!!」 組んだ足を、元に戻す。 その衣擦れの音が、大音量で聞こえてくる。 どうして、レビンはそんなことを言うのだろうか?つまり、レビンはコージが犯人だと知っている・・・?そんな思いがまるで見透かされるように、レビンは続けた。 「コージは犯人やないで。・・・俺は、犯人を知ってる。」 ボ――――――・・・・・・ 汽笛が、もう一度鳴った。 夜であることに配慮して、少し小さめに。 けれども俺の身体を騒音が駆け巡り、内臓を通ってぐしゃぐしゃにかきむしられるような音だった。 「犯人を、知ってる・・・?」 鸚鵡返しをした。船が少し旋回する。雲の切れ間が、ゆっくりゆっくりと動き・・・・ 満月にやや欠けた月を、全て露わにさせた。 座ったままのレビンが、月明かりに照らされる。片目に月が反射して、まるでこの世の者ではないような異様な雰囲気が、レビンを包み込んだ。こんな彼を、今まで見たことがあっただろうか? そして、長い通路に船の窓の形をした影が出来上がる。その様子を呆然と見ていた。 一番奥の窓枠の影が落とされた。俺は視線をレビンに戻した。 レビンの左手に。左手に・・・何か光るものが見える。月明かりに反射して、黒く、黒く、光るものが見える。 ごとん。 レビンの手から「それ」が転がり落ちた。 片手で握れる大きさの、拳銃だった。 「犯人を知っている。でも、俺の口からは言えへん。」 レビンは落とした拳銃を拾おうともしなかった。重たそうなそれは床に転がったまま、妖しく輝いている。 俺は震える手で(実際全身が震えていた)その銃を、まるで吸い込まれるようにして手に取った。冷たく、重い。どっしりとした拳銃。まだ火薬の臭いが立ち上ってきそうだ。アリシナの身体を貫いた銃弾の仲間達は、まだこの中に収まっているのだろうか。 暫く銃を見つめる。 「今朝、不法侵入者が捕まった・・・そいつが持っていたものが、何故か船の中にあったんや。」 まるで、見てきたかのように言葉を続けるレビン。そう、まるでその銃を見つけ、持ち出したのが自分であるとでも言いたいように。その銃を持って、会場に入り、演奏が始まると頃合を見計らって電気を消し、拳銃の引き金を引いた・・・・・・?スティックを片手に握り、あたかも両手で叩いているかのように、激しく演奏をしながら・・・・・・・・・ 俺はその場から、駆け出した。 廊下を、全力で走りぬけた。 背中の方面から、レビンの小さな悲鳴と引き止める声がかすかに聞こえる。 しかし俺はそれを聞こえない振りをした。銃を手に持ったまま、走り続ける。重い拳銃は、走ると余計に重く感じる。しかしその分手が余計に振れて早く走っている錯覚がした。その錯覚の中、考えたのはただ一つ。 どうして?どうしてレビンは・・・・ ―――――――彼ハ何故、事件ノ銃ヲ持ッテイタノカ?――――― レビンの異様な空気、コージの右手、シューセの燃やす写真・・・ それらがぐるぐると頭を周り、頭蓋骨の裏側を飛び交う。すべての事柄がフラッシュバックのように頭に浮かんでは消える。レビン、嘘だろう?たった今見た君は、俺の知っているレビンではない。嘘だ。 人の中に必ず狂気が潜んでいると言ったのは、誰だったろうか。その言葉が真実ならば、まさしく俺はたった今、レビンの「狂気」に出会ったのだ。 |