回る、回る、回る。 赤い情熱のドレスが、燃えるように回る。 漆黒の長い黒髪が、身体に引っ張られて鞭のようにしなる。そして、赤いドレスにまとわりつく。 スペインの血を濃く受け継いだ独特の顔立ちが、今日は一段と輝いて綺麗だ。 真っ直ぐな眉、ぷくっとした柔らかそうな唇、前を見据える凛とした目つき。 アリシナは、今日も踊る。 俺の歌に乗せて。仲間の曲に合わせて。 俺の名はタカ。 四人のバンド仲間と共に、日ごと音楽を伝える仕事をしている。ここ数年は今日のように、船上で高級官僚たちが集う宴に彩りを添える役目を果たしているが、少し前までは場末の酒場や、路上や、地下の薄汚れたクラブ・ハウスで演奏をしていた。俺たちにとってそこが最上のライブステージであり、生きるすべての場所だった。 一応、衣装と呼べるものを身につけてはいたが、現在のような糊の効いたタキシードなどでは無論なく、作業着に自分なりのめいっぱいの化粧を施し、(例えば女たちにもらったネックレスを切り離して縫い付けたり、友が着なくなったTシャツで少しセンスが良いと思えた柄の部分を切り取って貼り付けたり)そのときにしか履かない大事な革靴を履いていた。相手は酒に酔い、女に会うこと、男に声を掛けてもらえることだけを目的とした連中ばかりだった。 酔っ払いの怒号が飛び交う中、俺たちは必死になって曲を奏で、歌った。 思えばあの時期は、日々暮らしていくことだけで精一杯だったのかもしれない。歌い、奏でることすら生活の糧でしかなく、何とか明日を迎えるためだけに躍起になっていただけかもしれない。 現在の俺は、俺たちは幸せと言える。何不自由なく、毎日豪華客船に乗り、お抱えのシェフが客と同等の食事を作って食わせてくれる。空き時間は曲作りの作業に没頭できるし、仲間達とふざけあったり、釣りをしたり、ビリヤードに興じる余暇さえ出来た。 この幸福な時間は、目の前で踊る情熱の赤を纏った女性――――アリシナがもたらした。 アリシナ。半分だけ血の繋がった俺の姉。 アリシナが俺の前に現れたのは、つい1年半前だ。夏の暑い夜、俺は仲間達とともにあるバーで歌っていた。客でごったがえしていたそのバーは、演奏を聞いている者よりも、酒に酔い女と話す人数の方が圧倒的で―――それはいつもと変わらない状況だったが―――まさか演奏が終わった後に、自分達に声を掛けてくれるような人物など居るはずがない、そう思っていた。 けれども演奏が終了し、ステージから去ろうとする俺たちに、一人の女性が声を掛けたのだ。 「あの、ごめんなさい…間違えだったら、謝ります。あなたは、タカですか?」 教科書に書いてあるような、かっちりとした枠にはまった日本語が俺を呼び止めた。振り返ると、どう見てもスペイン人にしか見えない女性がそこに立っていたのだ。そのときも、確か赤い服を着ていたと思う。 俺は反射的に「そうですが。」と肯定した。隣にいたヒロ―――バンドのメンバーであり、かけがえの無い親友だ――などは少し眉をしかめた。見知らぬ人からいきなり声を掛けられても、気安く応対してしまう俺に、彼はいつも心配してくれていた。見知らぬ土地、見知らぬ女性。確かに不安要素は多かっただろう。しかし俺は見知らぬ人と出会うことにより生じる危険な思いよりも、何か新しいことが始まるワクワク感のほうを優先する人間だ。 女性は大きな瞳を更に大きく広げ、充血した目元から僅かに涙を浮かべた。 「タカ……ああ、タカ、探したのよ。」 唖然とする仲間達の視線の中、アリシナはその場にひざまづくと、はらはらと泣き崩れた。 それからアリシナは明かしたのだ。 アリシナの父親が、実は俺の父親と同じであること。 父が若かった時に、アリシナの母親が当時勤めていた日本の酒屋で出会い、仮初めの一夜を過ごしたこと。その後すぐ母親は故郷スペインに帰り他の男性と結婚をし、妊娠に気づいたものの子供の父親は日本にいる俺の父親であると直感したこと。再び日本に戻るにはアリシナの母に資金など無く、結婚した相手は嫉妬深く暴力的で、真実を語ることができなかったこと。 アリシナが20歳になったとき、初めてこの事実を告げられ、以来まだ見ぬ父親を求めて日本へ渡る夢を見つづけたこと。ところが実際日本に向かおうとしたものの資金が足りず、船上で高級官僚を相手に踊りを披露し、世界中を船で回っていること。 「いつかは、日本行きの船に乗れると思って…」 アリシナはそう言って涙を拭った。綺麗に塗った化粧が乱れる。俺は汚いハンカチしか持っていなかったので躊躇してしまい、結局それを差し出すことが出来なかった。 しかし、残酷なことを告げなくてはならなかった。俺の父親は、5年前に他界していたのだ。 アリシナは、大きく溜息をついた。 「ええ、知っています…お父様を探すうちに、知りました。けれども私は希望を捨てませんでした。母親の違う、弟がいるということも、なんとかつきとめることができましたから。私、タカに会うことだけを望みに今日まで、生きてきました。そして、日本のバーで歌ってると聞いて、探しました。毎日、毎日探しました・・・。 私は絶望したりしません。お父様の代わりに、貴方に会えたから。貴方は私のたった一人の弟。これからは、ずっと一緒に居られますよね?」 俺は少し躊躇った。一緒にいられる為には、俺の生活は底辺を極めている。とても姉を養うことは出来ないだろう。だとすると、姉の生活に合わせるしかないが、そうすれば世界を船で移動することとなり、仲間達と離れざるを得ない…そう思うと、身を切られるよりも辛かった。 「アリシナ…さん、俺は(ここでアリシナは遮るように「アリシナと呼んでください、もしくは姉さんって。」と言った。俺はアリシナと呼ぶことにした。)仲間たちを捨てる訳にいかない。この世でかけがえの無いのは、アリシナも仲間達も一緒なんだ。」 目の前にある、焼けるような視線を外しながらこう言うと、アリシナは小さく溜息をつき…そして、素晴らしい提案を思いついたと、手を鳴らした。 「みなさんも・・・みなさんも、一緒に。ぜひ、ご一緒に仕事をしませんか?」 こうして、俺と4人の仲間たちは、現在船の上で、踊るアリシナの伴奏をしている。 俺の左手では、生涯の友と誓ったヒロがギターを奏でる。無口だが、心の清らかな優しい男だ。まるで神が乗り移ったかのような、世界一のギターを奏でる。そしてなぜかそんな彼が、俺に対して最大級の信頼を寄せてくれている。以前「タカは俺の母親と同じくらい、大事なんだ。」と真顔で言われたときはさすがに照れてしまった。 反対側にいる、背の高い綺麗な顔立ちをした男は、コージ。俺より幾分年下で、そのせいか何かと頼ってきてくれる。優しいが大酒飲みで、酔うと手がつけられなくなるのが珠に傷だ。そんなときは大抵幼馴染のレビンが相手をしてやっている。レビンは俺のすぐ後ろで重量感のある最高のドラムを叩く奴で、コージと同い年だ。身長が小さくて末っ子なこともあり、甘え上手で俺などはいつもレビンに振り回されてしまう。いや、他のメンバーもそうだな。みんなレビンには甘い。とはいえ、可愛い顔をしていながら芯は強く、誰よりも男らしい。 そんなレビンと一緒に重厚なリズムを構築してくれているのが、ベースのシューセ。コージに負けず劣らず酒が好きで、毎晩つきあわされる俺などはたまったものではない。しかし面倒見が良いし、肝も据わっているから彼の前なら、俺も力を抜いていることができる。 こんな仲間たちと一緒に…そして姉のアリシナと共に、演奏をして世界を回る俺は、この世で一番恵まれた人間だろう。神に感謝したい、本気でそう思う・・・。 *************************************** 「何かあったのか?」 もうすぐ演奏が始まる時間、デッキを歩いていると船の入り口近くで騒いでいる声がする。そこにいたシューセに尋ねると、どうやら不法に乗船しようとした男が逮捕されたらしい。身を乗り出して窓から見ると、両手を繋がれた男の後ろ姿が見えた。 「怖いね・・・最近は変な人が多いな。」 乗船の前に掴まって本当に良かった。何か問題があったら、俺たちはこの楽園を手放さざるを得なくなってしまうかもしれない。さあ、もうすぐ演奏の時間がやってくる。今日は新曲を披露する日だから、何だかいつもより高揚してしまう。ヒロが作曲した最高の曲だ。 シューセも後ろからついてくる。 「そうやなー、最近は麻薬や労働者や、銃なんかの密輸が多いからなあ。」 「シューちゃんたら博識!」 「何言うてんの、シューセ様は昔っから頭がええっちゅうとるがな。」 「ふーん・・・それは初耳だ・・・。」 会場に入ろうとして、コージとレビンが前から来るのとぶつかりかけた。笑いながら、お互いにじゃれあってやってくる。仲が良くて微笑ましい。それにしてもよく本番前にここまでリラックスしているものだ。 緋色のカーテンをくぐって中に入ると、そこにはすでにヒロとアリシナが立っていた。 「さあ、始めるわよ。」 アリシナが声を上げる。観客が俺たちを見る。数十人の熱い視線が俺たちに降り注ぐ。それは何にも替え難い、最大の贈り物だ。 「新曲を披露させて頂きます・・・このスペインの街、情熱の街からいらしたみなさんに捧げます。『情熱の風』・・・」 最初から歌のサビが入る曲。俺は声を限りに歌い上げた。 アリシナが踊る。両手を高く掲げ・・・腰をくねらせて、体全体で表現する。美しい姿に、観衆は魅せられる。 俺はそのことに、深い誇りとそれから、ほんの少しの嫉妬を抱えて歌った。前で踊るアリシナの姿、それよりも俺の仲間たちの演奏を聞いて欲しい・・・そんな事が時折頭を掠めるのだ。全く自分勝手で、呆れてしまうのだが。そもそもアリシナがいなければ、この演奏は成り立たないはずなのに。俺たちがこうして演奏できるのは、全てアリシナのお陰だというのに。自分の強欲ぶり、身勝手さに腹が立つ。 回る、回る、回るアリシナ。 赤いドレスがひらめき・・・黒い、漆黒の髪がまとわりつき・・・ 一瞬、俺の目の前にアリシナが来たような気がした。目の前が、真っ暗になったのだ。 何故・・・・・・ いや違う、全体が暗い。会場そのものが、真っ暗になった。 ほんの少し続く、暗闇と静寂。飲み込まれそうだった。真っ暗な闇に、すっぽりと・・・。レビンが一心不乱に叩くドラムの激しい音だけが、響き渡った。その瞬間。 ズキュウウウウン 真っ暗な会場に響く発砲音。同時にカチリ、と小さな金属音が聞こえた。銃声を生で聞いたのは、小学校の体育会くらいだ。いやしかし体育会で聞く音は、もっと軽い、パンっといったものではなかったか? そんなことを考えた。多分、ほんの一瞬の間に。 ほんの数秒間の出来事だったはずだ。会場内は大きなどよめきが広がり、誰が何を言っているのか分からない。しかしすぐに電気がついて、目の前が明るくなった。演奏は途中だったが、すぐに中断せざるを得なかった。 目の前で、アリシナが血を流して倒れていたからだ。 俺がアリシナを抱き上げた時、すでに彼女は虫の息で、胸の真中から溢れる血はみるみるうちに床の絨毯を赤く染めた。赤いドレスはどす黒く濡れていた。 俺は絶えずアリシナの名を呼んだ。涙は出ない。何が起きたか分からなかったのだ。頭がパニックになっていたのだろう。後ろからレビンに肩を掴まれ、シューセに平手を食わされるまで、自分が何をして何を叫んでいたのか分からない。 「しっかりしろ!」 シューセの叫びに後押しされる。そうだ、ここは俺たちの舞台。そして俺はこのバンドのリーダーなのだ。現実を一つ一つ考える。 目の前のアリシナを、震える手で床へ沈めると、俺は立ち上がった。 「申し訳ありません・・・今日の演奏は中断させていただきます。」 それだけ言うのがやっとだった。 その後の調べで分かったこと。 船上のすべての人に対して行なわれた身体検査で、出てきたものは何もなかったこと。 銃はアリシナの背中から貫通し、客席の右側の壁にめり込んでいたこと。すなわち、俺たちのいるステージ側から発砲され、客席方面に銃弾が飛んで行ったこと。 客席を離れていた者は全員食堂に居て、シェフの出す食事を食べていたこと。 その他の職員は職務に付き、航海日誌に記録されていること。 これらのことを合わせると。 ――――――犯人ハ、俺達ノ中ニイル――――― |